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2007.01.30

あすけの町並み塾(2007/01/13)

1月13日(土)に開催された、「平成18年度足助交流館歴史講座 あすけ町並み塾」に参加しました。

▼交流館講座 あすけの町並み塾(豊田市)
http://www.city.toyota.aichi.jp/jouhou/061215-017-asuke.htm

定員20名で募集したところ非常に多くの応募があり、最終的に受講生38名としたそうです。

07011601_1

講師は豊田市文化財課の鈴木さんです。

▼豊田市教育委員会文化財課(豊田市)
http://www.city.toyota.aichi.jp/division/da09.htm

以前は、足助資料館に勤務されていたそうです。現在は文化財課に移られ、新しい豊田市史作成(全25巻を今後15年かけて作成予定)に取り組まれているとのことでした。

この講座は、初心者向けに広く浅くという内容にする予定だそうです。

日程と内容は下記の通りです。

・1月13日(土)中馬街道の町並み
・2月 3日(土)国の重要文化財 足助八幡宮の歴史
・3月 3日(土)名勝 香嵐渓の歴史
・3月24日(土)中馬街道を歩く まとめ

今回は、第1回目の「中馬街道の町並み」でした。

当日配布された資料を以下に紹介します。

07011602_1

07011603

こちらは、足助資料館から持参くださった足助村絵図(1700年前後のもの)です。これを使って、当時の足助の町並みの様子を説明してくださいました。

07011604

以前、ブログの下記ページで足助の名前の由来について「定かではないようです。」と書きました。

▼足助の名前の由来
http://asuke.air-nifty.com/blog/2004/06/post_14.html

今回は「足助」の名前について、下記のような説明がありました。

+++

「足助」の名前の由来はよくわかっていない。
12世紀後半、尾張国山田庄から山田重長が足助へ移り住み、
足助重長と名乗った。
当時、任地先の地名を名乗るという習慣があったことから、
この頃には足助という地名が使われていたと考えられる。

文献上に足助の名称が出てきたのは、1311年
文献上字名が出てきたのは1423年

+++

やはり、よくわかっていないようです。

また、「道の名称は目的地でつけられる。同じ道でも、三河では伊奈街道と呼ばれ、信州では三州街道と呼ばれた。」という話があったのですが、これははじめて聞きました。確かにそう言われると納得できる気がします。

「足助の商人は塩ではそれほど儲けてはいなかった。(ブレンドする手間賃のみ)」というのも、これまで自分の持っていたイメージと異なるものであり新たな発見でした。


「あすけ町並み塾」には、三州足助ボランティアガイドのみなさんがサポーターとして参加してくださっていました。

▼三州足助ボランティアガイド
http://asukeguide.hp.infoseek.co.jp/

「3月24日(土)中馬街道を歩く」のときに、ガイドしてくださるそうです。

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